17回生 廣内喜彦くん(71歳) 冬の東海道 大阪-東京を自転車完走

  年寄りの冷や水と言うなかれ、何か期する物があったのでしょう自分の誕生日(1月28日)を記念して一念発起、1月25日から30日にかけて東海道約600キロを自転車での完全走破をやってのけた。
 25日朝9時に奥様の見送りを背に、大阪摂津を出発、一日100キロを走行目標に5泊6日の旅です。
(以下、廣内君からの見聞から)
 予定通り走れない場合も考えられるため、宿泊先は予約できずその日の夕方までに探さなければなりません。 1日目は無理をせず、水口近くの三雲に投宿、2日目は桑名を通過して木曽岬町、3日目豊橋を過ぎ、東海道を少しはずれた湖西市に宿を見つけた。4日目、疲れが溜まるころか宿にリュックを忘れて引き返し大幅に時間のロスとなった。気を引き締めて静岡駅を通過、この日100キロをかなり超えた江尻に宿を見つける。海岸に向かえば三保の松原だが、観光をしている余裕はない。安宿で身体を休めることに専念。
 5日目今日の目的地小田原を目指す。しかし疲れでペースが落ちているのか、箱根に着いたころには既に5時を回り暗くなってきた。小田原にはまだ20キロ近くあり躊躇したが、箱根で宿を見つけるのは困難と思い走行を続けた。しかし無理はやはり禁物、道脇の残雪にタイヤを取られてしたたかに横転してしまった。幸いケガはなかったものの天下の険を思い知る。這う這うの体で小田原に着いて宿を見つけた時は8時を回ってしまった。その日の連絡が遅れてしまい、妻にはすっかり心配をかけてしまったようだ。
明日は最終日、日本橋まで90キロ弱、無事に着けることを祈ろう。
(以下、藤田記)
 廣内君から計画を聞いたのは昨年の暮れだったか、猛反対したが聞いてくれない。せめて春まで待てばどうかの提案も一蹴、誕生日にどうしても実行したいとのこと。意外と頑固なオヤジだ。ならば反対するのは止めて多少の協力をさせてもらうことになった。私が軽トラで先行上京、自転車を大阪に持ち帰る役目を。
 旅の途中、体調不良や事故にあった場合は躊躇なく中断して私が迎えに行くことを約束した。
計画実行前に実に緻密な行程表を貰ったが、彼はほぼパーフェクトにそれを実行した、大したものである。
 最終日正午に戸塚を通過、3時半ころに日本橋に着くと連絡があった。話を伝え聞いた同期の吉見勝弘君と青木修・かよ子夫妻が日本橋に来られて、4人で到着を待った。予定時間を過ぎた4時に彼と覚しき姿が現れた。照れ笑いをした廣内君と分かった時は、胸に熱いものがこみ上げてきた。かよ子さんが用意してくれたクラッカーをみんなで打ち鳴らして成功を祝った。時ならぬクラッカー音に道行く人たちが笑顔で振り返る花のお江戸の日本橋でした。

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